@mhj333
人間の普遍的な心理

一焔

 

「壁」に手をついて立ち上がる。

 無数の閃光が聳え立つ光の柱を揺らしているのが見える。
 空間を埋め尽くすコードをひき裂き、柱の表層を削り落とし、自立ボットを撃ち落とし、外部装置が崩れ落ちる。
 あの輝きのひとつひとつが人間であることを弥音は知っている。MCI-Dに触れたとき、その深層に横たわる複雑な構造が、人間を覗き込み、覗き返すものに自分自身を投げ返す水鏡のようなものであることを理解した。だからあの光も、この光も、すべて人間そのものだ。

 人間が嫌いだった。
 ぐにゃぐにゃと歪んでいて、不可視で、理解の及ばない遠い場所でひとりでに変わっていく。繋ぎ合わせていけばさらに複雑になり、相乗的に増えていく情報量は洪水のようになる。ゆるぎないものはひとつもなく、輝くのは一瞬で、いつも泥の中にいて藻掻いている。
 無崎弥音は人間だった。
 だから嫌いだった。わからないから。なにが壊れているのかすらわからない。なにが燃えているのかもわからない。なにに傷ついているのかがわからない。なにがうまくいかないのかもわからない――

 デバイスは感応する。
 そうだ、こうやってみんな目に見えて燃えていてくれればいい。そうすればもしかしたら、なにか知れるような気持ちになれるかもしれないし、たとえそうでなくとも、どんなにか薄汚く泥に塗れていたってこんなに美しいというのに。そして誰しもが見えるようになるのに。
 きっとこれを作った人間だってそう思ったに違いない。

 ならば、なんだって教えてあげましょう。

 うんと伸びをするように、天上へ向かって手を伸ばす。
 遥か頭上、星空は遠く、霞むほど輝く白い光は柱の内側で螺旋を描いて昇っている。
 本当のことを言えばどうでもいいわけじゃなかった。
 目に映るものはすべて悲しかった。無崎弥音は溢れかえってフロアに溜まって、駆け抜けていくクラスメイトたちの足元を揺蕩っている。本当はわかっている。今は普段より少しだけ速いから、人の言っていることが普段より少しだけわかる。
 でも弥音の答えはこれだけだ。
 身体が燃え上がる。真っ青な悲しみが溢れ出して、手のなかで燃え盛った。

 人間に答えはない。
 美しいものだけ見ていたかったけれど、それはできない。
 ただ、ただそれが悲しいだけなのだ。

 涙が溢れた。
 なにもかもがはっきりと見えた。ままならないすべてのことが。
 感情は炎になって零れ落ちる。
 振り上げた手の中の刃は堪えようがないほど大きくなって、海の底から見上げる空のような深青に焼き付いた。
 なにも抑えなくていい。
 いまだけは耐えなくてもいい。
 苦痛には喉がない。そんなところに口はない。
 それでも叫ばなければならない。

 神様も、人間も、どんなに強い炎も、誰も救ってはくれない。
 それができるものは誰もいない。
「壁」に触れる。大きな盾だった。美しい蒼。透明だけど確かにある壁。
 この場所がいちばん孤独だ。

 空が遠い。はるか頭上、丸く切り取られた夜を見上げる。
 苦痛の神は人間を愛している。大いなる苦痛は単純に愛なのだと遠い昔に誰かが言った。
 許せなかった。
 だから……今度はこの手が罰してやる。
 お前が私に与えた理不尽な運命のほんの1%でもやり返してやる。
 なにもかも見せてやる。

 炎は支えきれないほど膨れ上がった。
 耳鳴りがする。刃の青は振り上げた腕から滝ごとく滴り、影すら燃えている。すがたは炎そのものになる。

 伝令者の言葉が耳に蘇る。
 何もかも全部――ぶっ壊す。

 振り抜いた。

 その瞬間、柱が燃えた。
 目を焼くほどの爆炎が上がった。空気が一瞬で燃え尽きる音がして、真っ青な炎の刃は床を焼き砕きながら柱に衝突し、吹き抜けを勢いよく駆け上がった。空間すべてを焼き尽くすように火柱となって天を焼き焦がした。絡まったコードを焼き、階段の外側をかすめ、ゲートの稼働音を焼却し、壁をめろりと舐め、階段を駆け上がるクラスメイトたち、手に手に光を握りしめて鮮やかに叫ぶ人々の肩を飛び超え、なにもかもを燃やして視界を青で焼き尽くした。遥か頭上の夜空に向かってその一瞬、悲しみは佇むすべての風景の表層をひとつ残らず焼いて、真昼のように明るく燃え上がった。天さえかすめ焦がした青色の爆炎が、空間に吹き溜まったあらゆる人間の重苦しい感情に引火して、青い怪物の顎のような炎が無言のまま咆哮した。真っ白なゲートを視界から消し飛ばすほど爆発した。一瞬、地獄の業火に包まれたように炎上した柱は、衝撃でびりびりと揺れた。
 それだけだった。
 ほんの僅かのことだった。

 空気に溶けていく炎の断片を見守って、天を睨んだ。
 私のために叫ぶことができるのは私だけだ。
 炎だったことを忘れない。

 髪から火の粉が零れ落ちた。
 たった数秒のことだったが、青い炎は記憶の網膜に焼き付いた。
 何度でもきっと、今まさに燃え上がったように思い出せる――




 ああ……綺麗だったな。
 意外と。



 


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