@SEALDs_Kansai
SEALDs KANSAI

こんにちは、塩見博子です。

よろしくお願いします。

私はこの夏、「個人」の持つ力の可能性を、確かに感じました。
去年、集団的自衛権行使容認の閣議決定がなされた時、秘密保護法が強行採決された時、傍観者であった私は、ただただ将来への不安に襲われて、何もできなかったことを後悔しました。
今年9月19日未明、安保法制が通されてしまったあの時、私は去年とは全く違う、不思議な気持ちでした。
もちろん自分の非力さを痛感し、不安がよぎりましたが、それよりも、「まだ終わってへん」と前向きな強い気持ちでいっぱいでした。
何が変わったのか、答えはすぐに見つかりました。
今年6月ここ京都の路上で私が一歩を踏み出した時、「安保法制を廃案にする」という同じ目的を持ったたくさんの「個人」と出会ったんです。
それぞれの経験や、考え方を持って、この目的を選び、その場に集まった多くの「個人」は、間違いなく、傍観者ではなく、主体者でした。
私は勝手にホッとして、一人じゃないんだと、勇気づけられました。この思いがあったから、あの日を前向きな気持ちでむかえられたんだと思っています。
でも寒くなるにつれて、私はまた不安に負けそうになるんです。
夏の出来事が夢だったみたいな日常の中で、「安保法制廃案」という目的自体が一種の流行だったような雰囲気を感じるんです。
勉強や就職のことで、社会に対する思考が止まってしまいそうになる私がいるんです。
このまま傍観者になれれば、どんなに楽なんだろうとさえ思います。

それでも私はこうしてこの場に来ずにはいられませんでした。
なぜなら、私は社会が優しくないことを知っているから。
3、11で、私はようやくその事に気がつきます。
社会は無関心な私に原発のリスクについて教えてくれない。社会は無知な私に最善の選択をしてくれたりしない。 社会は勝手に平等な安全を持ってきてくれたりしない。
どうして原発が都心から離れたところに作られるのか、それはリスクについて知りながらも、利益のためにつくりたい人達が、社会の無関心を利用した結果です。
社会への思考が止まってしまう時、優しくない社会は、一部の権力者の利益の道へと進むのです。
絶ちきりたい。
そのためにはやっぱり「個人」が主体者となるしかないのだと思います。
一人一人の持つ力は小さいかもしれないけど、 私達が抗っている相手は、私達一人一人の選択によってなりたっている。

声が必要です。
できるだけ「個人」に向けた声が。
身近な人からの声ほど、関心を持てるものはありません。
「安保法制廃案」に向けて
まだできることがあるんや、って
夏で終わったわけじゃないことを、
これからが大切だということを、
声に出しましょう。
あなたからの声をきっかけに、一歩を踏み出す人がいるはずです。

どうか諦めないでください。
行動すること
思考すること
生きたい未来を選ぶことを

私も諦めません。

2015年12月20日
私は 安保法制の即時廃案と、安倍政権の即時退陣を求め、行動し続けることを誓います。


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