@mhj333
人間の普遍的な心理

おはぎ

 


 世界人類おはぎがおいしくありますように。


「おはぎ好きなの?」
 作ったばかりのおはぎを横からさらわれて、見上げるとフードの男がそれを口の中に放り込むところだった。
 別にそれはただ、ぱっとまな板の上に手を置いて、決められたものを組み立てる作業の過程でできた生産物に過ぎなかったので気にしなかった(ただ途中でわざと皿に寄せた分だけは奪われないように手で避けて保持した)。
 おはぎはおいしい。それ以上でも以下でもない。それだけ。

「さっき俺の話聞いてなかったでしょ、君」

 フードの男は伝令者を名乗って、彷徨える子羊みたいな鯨津生徒を導いていた。
 感慨は特になかった。世の中にはスケジュールに従って決まり切って人を導く職業がある。先生、運転手、どちらもそうだし、おそらく彼もそれと変わらなかった。

「君は助けに行かないの? 他の連中をさ」

 思念兵器。
 もくもくと、浴衣の袖をまくって、ただ黙って規定サイズのおはぎを量産し続ける無崎の隣に立って、男は噛んで含めるみたいにその話をした。
 感情が兵器になる世界を。

「でもまあ、向き不向きはあると思う。入れ込みすぎるとヤバいから」

 無崎はそのときまるめていたおはぎを、いつのまにか空になっていた机端の皿に載せてから、ジッと男を見上げた。
 散らばった髪の間から覗くのは左目だけ。まるで片目を塞いでいるみたいに見える。いま弥音の髪にピンのないほうと同じ側。もしかしたら彼にも何か外側のものが見えるのかもしれない。だから塞いでいるのかもしれない。ひりついた表情の男からは何も読み取れなかった。つまり、多分、受け入れるつもりはない、ということだろう。

「ホントだよ? だから、」

 覚悟したほうがいいよ。その時は。



 *



 記憶があいまいだった。誰かに手を引かれてコンテナに戻ってきたとき、制服は表面がずたずたで泥と砂にまみれていた。腕と胸部にあった鈍痛が剥がれて外側になっていったあと、誰にも気づかれず置いてあった誰かの浴衣と、その上に添えてあった見覚えのあるピンクのヘアピンをとって、ひとりでコンテナで着替えた。白い部分がまんべんなく汚れて裂傷のできたスカートを身体から振るい落とし、襦袢の代わりにTシャツを着た。帯の回し方は手が覚えていた。鏡を見る代わりにゆっくり自分自身から離れていって俯瞰した。遠のいていくとだんだん夏祭りの匂いがする。焦げたような匂い。甘い。弥音はこれと似た紺の絞り染めを着ていた。空が高かった。人の足が雑踏していた。祭囃子が一音も逃さずに蘇ってくる。一度覚えてしまったものは決して忘れない。あのとき手を引いていたのは祖母で、あれが最後の夏だった。次の夏は来なかった。夏は耳に痛いほどざりざりしていて刺すように暑いものだ。空調の利いた病室にまでは夏は入ってこなかった。
 そして制服を伝令者に押し付けた。もらった弐圓の使い道は思いつかなくて、そっと椅子の上にあげた。椅子の上には誰もいなかったが、誰かがそれを持っていって、いつのまにかなくなっていた。
 今はそうやっておはぎを溶かし続けている。
 脱皮したあとの蛇がしばらく過去を思い出すみたいに、砕け散った痕跡だけを感じている。
 居心地の悪いときは黙って閉じこもり、何かに集中する癖があった。目の前には都合もよくおはぎがあった。みんな真剣になっていたから一人になるのは簡単で、誰かがこの脆い静寂を崩してしまうまえにやり切らなければならなかった。何を? とりあえずおはぎを。食べてくれる人がいるわけだから。

 君は助けに行かないの? 他の連中をさ。

 それをどうやって決めるのだろう。いつも目の前には投影するより明白な世界があって、そっちのほうが記憶よりもずっと強いから、目の前にいない人間のことを思い出すのは少し難しかった。ただ言いたいことはわかる。襲撃されて、傷ついて、奪われて、深い泥沼の中を這いずりまわるように皆が憔悴している。悲しみ。苦痛。
 いなくなってしまったことはわかる。でも人間っていなくなってしまうものだ。煙のように。突然。
 だから……まだわからない。
 見てみるまではわからない、と思った。発見したとき、きっとすべきことは目の前にある。それ以外に選ぶ方法はない。そもそも選ぶのは苦手だった。選択肢がどこにあるのかさえ曖昧で、何かを選んだとき、一人だけ虚空を指しているように錯覚さえする。だからその瞬間まで答えはわからない。誰も教えてはくれないのだし。

 そして、おはぎはおいしい。ゆるぎない真実。優しい。

 誰かが頷いたような気がした。


 


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