@SEALDs_Kansai
SEALDs KANSAI

SEALDsという名前が流行語大賞をとった。

一部の人たちは、デモをする学生を、英雄か、ちょっとしたアイドルのように持ち上げた。
新聞や雑誌には、SEALDsとは何なのか、彼らはどのように生まれたのか、というような評論が載るようになり、取材や講演会の依頼が1日に何件も来るようになった。

だけど、それは、私の、私たちの望んでいたものではない。
私たちの目指しているものではない。


私は、私たちは、運動の中に出会いや居場所を求めていたわけでも、自己表現の場としてデモを企画していたわけでもない。

私たちこの夏が成し遂げたかったのは、
あの、欠陥だらけの法案の成立を食い止めること、それだけだった。

だから、すごく悔しい。
運動のスタイルや、スピーチの内容をいくら褒められたところで、それは社会を変える確実な一歩にはなり得たけれど、あの法案を止める力には足りなかった。

あの欠陥だらけの法律が、このまま運用されてしまえばどんなことになるのか、その恐ろしさが私に、私たちに迫ってくる。

ニュースや国会答弁の中で、リスクという短い言葉で語られているのは、具体的には誰かの死だ。

このままでは、この国から、何十年目かの戦死者が出る。
一人の目の戦死者が出る前に、私は、私たちは、どうしても勝ちたい。

国民が危険にさらされるリスクを考えれば、
自衛隊員のリスクが高まるのは仕方がないという人もいる。
しかし、殺し合いに加担することの、どこが、人間の安全保障に繋がると言うのか、納得できる答えを誰も示せていない。


想像する。

一人目の戦死者は、小学校のとき、将来の夢は人の役に立つことだと作文に書いていたAくんかもしれない。

一人目の戦死者は、派遣労働では奨学金の返済が追いつかず、安定した収入を求めて入隊したBくんかもしれない。

一人目の戦死者は、誰かが行かなくてはならないのなら、私が行くと、自分の命を他者のために使うことをいとわないCさんかもしれない。

一人目の戦死者は、友達の友達、誰かの恋人、誰かのパパ、誰かの弟、誰かがお腹を痛めて産んだ息子あるいは娘。

一人の人が死ぬということが、一体どういうことなのか、一人の人が生きるということが、どれだけ尊いことなのか、人間としての感性を麻痺させることなく、的外れな例えに騙されることなく、考えれば、やっぱりこの法律にはどうしても賛成できない。
いのちをあきらめるなんてできない。

戦争に行きたくないと思うのはわがままなのでしょうか。
被害者に、加害者になることを拒むのは利己的なのでしょうか。
私たちの権利と自由と平和を保証したあの憲法を、守ってほしいと叫ぶのは、自分勝手なのでしょうか。

私は、権力を否定したいわけでも、
ただただ現政権が嫌いなわけでもありません。そして、彼らの言っていることが全て間違っているとは思いません。

経済政策が重要だということ、新しい安全保障政策の転換が必要だということ。私もそれには同意します。

しかし、なぜ、経済政策が重要か、それは、世界の中で一番になるためや、多くの人には還元されない一部の企業の利益を増やすためではなくて、健全な経済成長によって得られる安定した生活が、充実した教育が、行き届いた社会福祉が、私たちの価値観を、より豊かにするものだと思うからです。

そして、なぜ安全保障政策の転換が必要か、それは、武器が平和を、均衡な対立が安定を生むという幻想が終わりを迎えつつある今日において、私たちは、新しい安全保障のあり方、平和構築のあり方を問われているからです。

私は、彼らの言う経済成長や、安全保障というものが、どうしても、時代錯誤なものに思えてなりません。

来る2016年を生きていく私たちは、先進的で、しかし普遍的な価値に基づいた、新しい国家のあるべき姿を、言葉にし、政策にし、自分自身の生き方にして、少しずつ、少しずつ実現させていくことができると信じます。


私も、こんな天気のいい日曜日の午後に、
自分の国の総理大臣に向かって、やめろだなんて、叫びたくはありません。
顔と名前を出して、自分の意見を言えば、ネット上で、顔も名前も出さない人たちから人格を否定される。
だけど、こうやって、私の、何の変哲もない、顔と名前を出して、自分の意見を言うことが、歩道の端っこから、カフェの窓から、画面の向こう側から、同じ思いで見ているあなたが立ち上がるその勇気になれば、それ以上のことはないと思ってここに立ったんです。

一緒に歩きましょう。

私たちは、ただ、殺したり、殺されたりすることを、拒否しているだけ。

どんなにうまい理由をつくって権力者や学者に説明をされてもやっぱり納得できない、自分の内側から湧き上がるごく当たり前の声に正直になっただけ。

だから、一緒に歩きましょう。

誰も殺さなくていい方法を選び取ることが、
今の私たちになら、まだ、できるはずです。



2015年、12月20日
私は、いのちの価値を蔑ろにする、
安全保障関連法に、反対します。


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