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辺野古スピーチ

高校一年生の時、当時の橋下府知事が、辺野古の移設先として、関西国際空港を候補に上げたというニュースを新聞で読みました。
関空の近くに住んでいたわたしは、え、うちの街に基地が来るの?と思って、昼休みに社会の先生にその話をしました。

先生は、寺田さんの家の周りは田舎だよね?基地ができたらきっと、日本にはないようなバーガーショップとか、寺田さんが好きなお洒落な古着屋さんとかも増えるし、街の人が働く場所も増えると思うよ、よかったじゃない。と言いました。

わたしはなんとなく、珍しいバーガーショップができたら嬉しいな、デートスポットも何もない街に、お洒落な古着屋さんができたら楽しいだろうな、なんて呑気なことを考えていました。

でも、そのあと、先生はこう言いました。

今の私の言葉に騙されないで、基地の街で生きるということがどういうことなのか、よく考えてみなさい。

そのあとわたしは、米軍機の墜落事件でたくさんの子どもたちが犠牲になったことや、
一部の米兵の性暴力事件が後を絶たないこと、
Yナンバーの車に事故が多いことや、
それらを日本の法律で裁くことができないことを知りました。


また、琉球処分の時からずっと、この国は、平和を願い、非暴力を貫いてきた沖縄を、
力でねじ伏せようとしてきたのだと、

戦争の時には、捨て石として使い、
戦争が終わったら、アメリカの占領下に渡し、
日本に復帰してからも、沖縄にだけ、平和憲法が適用されていないかのような扱いを続けてきたのだということを知りました。


そして今もなお、
県知事選でも、市長選でも、県民大会でも、辺野古新基地建設に反対の意思を示し続けてきたにも関わらず、
世界で一番豊かなサンゴ礁の海の上に、
コンクリートの塊が沈められているということを知りました。


結局、当時の橋下知事はあっさり発言を覆し、関西空港が辺野古の移設先にはならなかったし、基地は、わたしの街にはこなかったけれど、こんなものを、ずっと押し付けてきたんだという、なんとも言えない気持ちが残りました。


沖縄戦のことも、沖縄の人たちが抱える葛藤や怒りや、痛みや悔しさも、まるで知らない私に何ができるわけでもなかったけれど、
この春、わたしは高校時代の友達と一緒に、辺野古のキャンプシュワブゲート前に、
2週間と少しの間、座り込みに行きました。

その時に、朝早くから毎日座り込みに来ていた、80歳のおばあが、関西に帰ったらみんなに伝えてね、と私に話してくれたことを今日はそのまま伝えたいと思って、ここに立ちました。

「わたしは、ベトナム戦争の時、この島から人を殺しにいくのを止められなかった。この島から飛び立っていった米兵は、本当にたくさんの人たちを殺してしまったの。
この国は、とっくに戦争に加担しているんだよ。
沖縄では、戦争に加担しないと決めた日本国憲法よりも、安保条約の方がはるかに上にあるんだから。」

この国の最高法規は、戦争放棄と民主主義を謳った、日本国憲法であるはずです。
でも、おばあが言うように、辺野古の現実はまさに安保が最優先で、選挙で示したオール沖縄の民意は圧殺され続けています。
戦争の何たるかを知っているおばぁは、これ以上戦争に加担してなるものかという強い意思で、雨が降っても、機動隊に押さえつけられても、毎朝ゲート前に立っていました。

一方でおばぁは、この現状をとても冷静に見ていました。
「ここだけでは、止められないんだよ。」


問われているのは、沖縄以外の46都道府県に生きる人間なのだと思います。
沖縄はもう、明確な答えを出しています。
選挙はもちろん、あらゆる手段で、
新基地建設にNOをつきつけています。


沖縄にだけ、民主主義が適用されていない現実を前にして、今度はわたしたちが、答えを出す番です。
2015年、11月13日、私は、辺野古新基地建設に反対します。


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