@mhj333
人間の普遍的な心理

@3mhj3 5/10夜、世界をすくう日

 

 熱があったことに気づいた。まともに食事がないせいで身体が鈍麻していたので気づかなった。
 立ち上がる。

「無崎……?」

 半分壁によりかかるようにして、戸塚が眠っていた。見ると、つま先が引っかかって起こしてしまったらしい。

「大丈夫か?」

 ああ。お前は。どうして挨拶するようになったんだっけ。
 無崎弥音は感応する。共感性は輪郭を超え、空間に浸透する。彼女は足を投げ出して眠っていたその人をジッと見た。外側が内側になる。その行為は一種の思い込みで、解釈のひとつに過ぎず、真実と呼ぶには脆すぎるが、彼女にとっては世界そのものだった。つまり、人間観察。

 違うでしょう。本当は、そう言ってほしいのはお前のほうなんでしょう。
 叫んでいるのでしょう。求めているのでしょう。でもそんなことは言えないでしょう。そんなところに喉はついていないし、口はひらいていないのでしょう。だからどこへ行くこともできないのでしょう。先が見えないことが不安でしょう。光が見えないことが恐ろしいでしょう。なぜ自分がこんな目に遭っているのかと困惑しているのでしょう。何のせいにすべきか矛先を探しているのでしょう。それすらもを恐れているでしょう。だからあきらめるしかないでしょう。目を背け、逃げることしかできないでしょう。
 わかるよ。

「戸塚、それは」
 だって、私たちは、
「いつも、私が感じているのと」
 大丈夫だったことなど一度もない。
「おなじ」
 口がないから叫べないだけ。

 感応し、浸透していく。ここには大勢の人間が抱えている暗雲があり、低気圧の強い速度で流れていく。
 ああ……今は皆が同じ。
 不安で。先がなくて。真っ暗で。怯えていて。それを忘れようとして。あきらめて。逃げて。走っている。

 戸塚の邪魔くさい足を退ける。触ると氷のように冷たく感じた。
 身体は寒気のトンネルを通りすぎてから向こう、燃え盛るほど熱かった。炎そのものにでもなったように。

 だから私が、呪いをかけてあげましょう。
 私のあたりまえが、お前たちのあたりまえに変わっていきますように。
 誰ひとりとしてこの、壁ひとつ隔てた向こう側にある暗黒を手放すことがないように。
 どんなに晴れた空の下でも、決して払うことのできない暗雲をすぐそばに抱き続けていられるように。
 お前たちすべてがそうあり続けるように。
 私ひとりがそうではないように。
 苦痛の神が微笑み続けてくださいますように。

 無崎は立ち上がって、走り出した。心の中へ塗りこめたような暗闇の先へ。
 大気圏で燃え尽きるささいな石のように。家出する女の子のように。怪物から逃げる人のように。




 やがて戻ってきた彼女が、声を出すことはもうなかった。
 いつもと同じように、いつもと違ってほんの一言たりとも。



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 これに続く


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